11月26日のスポーツ新聞の1面は、「濱中トレード」を報じました。
相手球団はオリックスで、相手は平野・阿部とのこと。
それを話すとオリ党は「平野と阿部もって行ったら内野持てへんで。タイガース関本・藤本はどないすんねん?」と困惑した様子。
平野は「蘇った遮那王」「平成の牛若丸」の平野恵一で、阿部は阿部真宏と思い込んでの話が進みました。
さらに「濱中がウチにきてどこ守るねん」と困惑するばかりです。
岡田監督は、鳥谷のショートは怪我をしない限り変えませんし、もしかすると鳥谷のコンバート?怪我?とこちらも?な状況です。
夕方になって、阪神濱中・吉野とオリックス平野・阿部のトレードが発表されました。
阿部は、投手阿部健太でした。岩隈が背番号48から21に変更して、その後に背番号48をつけた選手でした。
前書きは長くなりましたが、濱中のことについて書きたいと思います。
96年のドラフト3位で入団しました。ちなみに1位は東洋大学から逆指名の今岡誠、2位は関本健太郎、4位は星山忠弘でした。
今岡は即戦力として一軍で起用。濱中の一軍初昇格したのが1年目の終盤でした。高卒1年目の選手がヒットを放ったのは、掛布雅之以来という記録でした。
将来楽しみな選手として1年目から応援をしてきましたので今回のトレードは悲しい限りです。
ブレイクし始めたのが、2001年でした。
その年の5月13日に9回裏広島河野からサヨナラ逆転ホームランが初ホームラン。星野監督時代には、4番にも起用。2003年5月20日の広島戦で帰塁の際に右肩を負傷、さらに6月13日の巨人戦で無理をして出場し肩を負傷。ここから怪我との戦いが始まりました。
確かに濱中のホームランは、田淵幸一のようなきれいなホームランという印象です。
それと登録名と背番号をよく変える印象でした。
濱中がバファローズに行ってもバファローズファンになるつもりはありません。
タイガースファンのままで濱中選手一個人を応援します。