18日付の日刊スポーツ1面は、「今岡引退」でした。
今岡は、97年にドラフト1位で入団。(2位関本・3位濱中・4位星山)
球団から提示された背番号は、平尾の「2」と空き番号の「7」でした。
「(前任の)真弓さんのつけていた7番をお願いします」と言って、タイガース今岡誠の背番号7が始まりました。
入団当初は、セカンド和田豊・ショート久慈照嘉という布陣。その和田が中日古池の投球で骨折し、代役に起用されるが至らず。その年に久慈が中日トレードされ、吉田監督はレギュラーとして起用したのですが、次の野村監督時代の3年間はつらい生活を味わいました。
星野監督が就任してから、今岡の「天才」ぶりをファンに見せてつけてくれました。
2003年は首位打者を獲得し、初回先頭打者本塁打を7本という離れ業。2005年は、セカンドからサードにコンバートされ、今度は打点王を獲得。チャンスになれば必ず打つと言ってもいい勝負強さ、相手チームにとっては脅威でした。
先代の背番号7をつけていた真弓明信さんと違ったバッターでした。
バネ指の影響で2006年以降は苦しめられました。2009年に戦力外となりロッテに入団。
2010年の開幕メンバーに今岡が入っており、西武ドームの「埼玉西武vs千葉ロッテ」の開幕1・2戦を観戦。
「今岡出さんかい!!」と怒鳴ると周りは「なんやこの人」と驚かれる始末。
千葉ロッテでタイガースでできなかった日本一を経験。
今岡誠のことを振り返っていると長くなるので、印象の残るシーンが2つあるので紹介して終わりたいと思う。
<18年ぶりに優勝を決めた2003年9月15日>
優勝決定後に監督以下がペナントを持って歩いている様子を
清水次郎アナ:道上さん、今岡もぐしゃぐしゃですよ顔が。
道上洋三アナ:ああ、うれしいよな彼はな。つらかった時期が長いからねえ。泣いとんな。今岡誠おめでとう。星野さんが泣きながら手を振ってます。ありがとう。三塁側のアルプススタンド前です。
吉田義男さん:この気持ちが大事ですよね。素晴らしい。
道上洋三アナ:泣け!!今岡!!思いっきり泣け!!おめでとう!!首位打者や!!右打者で本当にたくさんのヒットを打ち、完璧なヒットだけで首位打者になる日本人選手としてはね久しぶりの首位打者でしょう。
清水次郎アナ:そうですよねえ。
吉田義男さん:日本一のセカンドですよ。
清水次郎アナ:快進撃を引っ張った背番号7今岡。男泣きです。
第3期吉田政権で獲得したのが今岡で、解説中も今岡のことを気にされていました。
道上さんは、野村監督時代のつらい生活を知っているだけに思わず出たのだと思います。
<代打でサヨナラヒットを放った2006年6月11日>
その後のヒーローインタビューで今岡の第一声がこうでした。
清水次郎アナ:まずは今岡さん喜びの雄叫びをどうぞ
今岡:めちゃめちゃうれしいです
あの今岡の笑顔とコメントは、野球少年に戻った顔で一生忘れられないものです。
いずれタイガースに戻ってきて、打撃で伸び悩んでいる若手を育ててもらいたいものです。